をノ門、りノ櫓跡を背にして、ぬノ門の右手を見ると、小さな下り階段が見えますね。ちょっと降りて行ってみましょう。穴蔵のようになっています。石段を下りていくと右手の角に大きな四角い石が見えます。これは五輪塔の地輪と呼ばれる一番下の四角い石を転用石として使っているものです。この短いトンネルを通りぬけて階段を降り切ると、そこは三国堀のすぐ脇です。この小さなトンネルは石垣そのものをくりぬくタイプの埋門で、るノ門と名付けられています。敵がこちらに向かってくるようなら、石垣自体を崩して門を埋めてしまうことができます。
門を出て、菱の門の方へと向かう前にくるりと振り返って石垣をご覧ください。上山里丸の石垣で、上にちノ櫓と折廻渡櫓が乗っていますが、真ん中に縦にくっきりと稜線が見えますね。これは、石積み技術からこの稜線より右が秀吉時代の石垣で、輝政時代に左に向かって石垣の延長工事をしたものであることが分かっています。これによって、稜線をまたいで上に乗っているちノ櫓や折廻渡櫓、それに接続するぬノ門は輝政時代の建物であることが分かりますし、逆に上山里丸の大部分はすでに秀吉時代に形成されていた縄張であることも分かります。
そして、最初に菱の門をくぐって三国堀の前でお話ししたことを思い出してください。菱の門を突破して三国堀前になだれ込んできた敵はどういう行動をとるか、のシミュレーションです。菱の門の方から見ると、るノ門は死角になって見えません。建物が何も建てられていないので、こちらにルートがあるとはちょっと気がつかないようになっています。そこで敵兵は直進して、貧弱そうないノ門に向かうわけですが、この様子を、守備側は先ほどのるノ門内の控塀のある土塀の狭間からひそかに監視しています。そこにはあらかじめ一個小隊を配備しておき、敵兵がいノ門攻略に取りかかった頃を見計らって素早くるノ門を出て、いきなり敵の背後から襲いかかるのです。
この戦略には続きがあります。次に訪れる西の丸への途中にも、この敵の背後を突くもう一個小隊の友軍の隠れ場所があるのです。
これにて本丸と二の丸は、天守群内部の見学を残して、すべて回り終わりました。これまでは秀吉時代と輝政時代に築かれたものがほとんどでしたが、これよりその次の時代、本多忠政時代の建物が残る西の丸へとご案内いたしましょう。