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中村大佐顕彰碑

中村大佐顕彰碑姫路城を訪れて、この碑に注目される方はなかなか少ないんですよ、こんなにいい場所に建てられているのに。
ここに名前が刻まれている中村大佐とは、明治初期に陸軍歩兵大佐であった中村重遠(しげとう)大佐のことです。姫路城が今日までその美しい姿を伝えている裏側には、実に多くの人たちの努力と苦労があったのですが、この中村大佐はその中でも第一級の働きをされた方として、ここにその業績を顕彰し、「姫路城の恩人」として称えられています。
明治維新によって廃藩置県がなされ、全国にあった封建制度の象徴と言うべきお城は存続か廃城かの見直しがなされ、陸軍が兵営地や訓練場所としての価値を認めた全国43城以外は、明治6年の「廃城令」によりすべて廃却されました。
姫路城は幸いにもその43城の中に入り、お城は残ることになりましたが、それは姫路城の敷地は陸軍の師団が駐屯するのに好都合だからそのまま残された、というだけのことであり、今日のようにお城の歴史的・文化的価値を認める、などという発想はまだ誰にもありませんでした。そのため建築物などは荒れるに任され、明治11年ごろまでには姫路城も取り壊しや売却の危機に瀕しました。このとき、陸軍の建築、修繕を担当する部局第四局で局長代理の任にあったのが中村重遠大佐でした。中村大佐は全国の城を視察する中で、とくに姫路城と名古屋城の文化的価値を認め、ときの陸軍卿山縣有朋に、この天下の二名城を後世に残すよう太政官に上申してもらいたい、という意見書を提出し、その結果陸軍参謀本部がこの上申を認め、とにもかくにも応急の保存工事が国の予算の中からできることとなり、のちの大規模な修理工事へとつながるのです。
ほんとうに、この中村大佐がいなければ今ごろは姫路城もほかの多くのお城と同じように、石垣だけが残る「城跡」になっていたことでしょう。ありがたいことです。

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