水ノ三門をくぐって階段を登り切ると、視界がぱっと広がります。広場に降りていく通路も設けられていますが、この下り通路は後世作られたもので、往時は広場に面した建物が建っていてここはその壁で閉ざされた空間でした。この広場は池田輝政時代に城主の居館が建っていた備前丸ですが、あとで見学しましょう。ひとまず、三門の階段を登ったらそのまままっすぐ突き当たって右側の水ノ四門に向かいます。
水ノ四門も土塀の下に設けられた埋門です。ここもお決まりの「門内はすぐに上り階段」です。門内側に石を詰める空間があります。 そしてこのあたりのさらなる工夫は、敵を何度も折れ曲がらせる、ということです。すでに通ってきましたように、三門を入るとまずすぐに左折して階段を登らなければなりません。そして階段を登って正面突き当りを今度は右に90度折れると水ノ四門です。水ノ四門に対して正面に向かうということは、西小天守を完全に背後に回すことになります。攻め手は相当の人数をここに溜めて四門突破の作業にかからないと、兵力を逐次投入していたのでは背後からの射撃で全滅させられかねません。そして四門の門内はすぐに左折して上り階段、階段を登るとさらに左折、すなわち四門正面からは左にUターンする形でやっと天守エリアへの入口である水ノ五門に向き直ることとなります。 ここの縄張りは、お城の虎口(出入り口)でよく見られる「枡形」と言われる防御システムです。すなわち、外側(ここでは四門)と内側(五門)の二重の門で小さなエリアを作り、攻められたときにはそのエリアに敵兵を溜めて周りの土塀の狭間などから射撃して一網打尽にする、という設計思想です。さらにここでは次に続く水ノ五門を外側、水ノ六門を内側の門として連続して枡形を形成しており、全体として城郭用語で二重枡形と呼ばれる形になっています。 さすがに天守への入口ですから、防御体制もここに極まった感じです。
さて順路ではここから天守エリアに突入するのですが、平成の修理完了以降の天守内部の状況をまだまとめきれていませんので、恐れ入りますがご案内は今しばらくお待ちください。 いったんさきほどUターンして水曲輪に入ったほノ門内までワープして、今度は直進して北腰曲輪を見ましょう。
※写真提供 K.Yamagishi’s 城めぐり