埋門をくぐって再びもとの通路に出てきました。この一帯がさきほどお話した帯曲輪と言われている場所です。順路の先の方を見ると正面突き当りに可愛らしい単層の櫓が見えます。へノ櫓です。
ただへノ櫓の前に進む前に、少し立ち止まってください。この左手の土塀は世界的に有名になった、そして姫路城関係者にとっては忌々しい記憶とともに忘れることのできない土塀なんです。
時は1966年、イギリス映画「007は二度死ぬ」の撮影がここで行われました。映画の内容は、丹波哲郎率いる日本の公安当局とショーン・コネリーのジェームス・ボンドが協力して、日本で国際的な悪の組織を退治する、という荒唐無稽なストーリーですが、1967年の公開当時、日本でのロケがふんだんに盛り込まれている007映画ということでたいへん話題になり、当時中学生のわたしも映画館に見に行ったものです。さて、姫路城での撮影シーンと言うのは、日本の公安の秘密部隊が忍者であり、その養成機関がお城の中にあって日夜ひそかに訓練をしておりボンドがそれを視察しにくる、という部分です。実にくだらないですね。
それはともかく、このシーンでは何人かの忍者が横にずらりと並び、数m先にはそれぞれ一体ずつの人型または畳を立てた的があって、忍者たちがそこにめがけて手裏剣を投げて訓練をしています。この場面の撮影場所として選ばれたのが、このへノ櫓から続く土塀と石垣の間の帯曲輪でした。姫路城側は事前に「石垣に向かって手裏剣を投げるのなら撮影を許可する。投げた手裏剣が的を外れるおそれがあるので塀側に向かって投げるのは厳禁。」と明確に釘を刺していました。ところが実際に撮影が始まると、姫路城側のお目付け役がいなくなったのを見計らって、監督は投げる方向を逆にして、あろうことか塀側に向かって投げる演技を指示したのです。後日の取材によると、監督は「そのほうが映画的に見映えがよいから。」と答えています。案の定、いくつかの手裏剣が的をはずして国宝の塀を傷つけることとなってしまいました。姫路城側はカンカンになって怒りましたがあとの祭り。結局、塀の修理費用を映画側が全額負担することで決着しました。その後も黒沢作品の「影武者」や「乱」、また映画「大奥」やテレビでは「暴れん坊将軍」、NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」など、城内ロケを許可することもたびたびありますが、こんなひどいモラルを逸した事件は前代未聞のことでした。(先にご説明したろノ門の石垣を爆破して死者まで出した昭和12年の事故は、不幸な事故ではありましたが過失でした。)
だいぶ興奮してしまいましたが、気を取り直して先に進みましょう。
へノ櫓は、並んで建っているりノ門といっしょになって、二の丸から備前丸へと進もうとする敵兵をここで食い止める役目をしています。そして、水ノ二門の横に建つ三ノ櫓のところでもご紹介しましたが、三ノ櫓とともに全国で二例しかない、単層で鉤型に折れた櫓です。
それから、この写真でもわずかに確認できると思いますが、りノ門内で門に接している部分の石垣の上端が弓なりに反っており、それにしたがって建物の下端もカーブしています。内部は公開されていませんが、室内の床はかなり傾斜しているそうです。
なお、今日この櫓は一般に太鼓櫓と呼ばれていますが、実はこれも明治時代に入ってからのネーミングです。江戸時代のほんとうの太鼓櫓は、このツアーの一番最初にくぐった三の丸の入口である桜門のすぐ脇にありました。朝夕、太鼓の音によって城内外に開門、閉門の時刻を知らせるわけですから、こんな城内奥まったところにあったのでは役に立ちません。これは、明治になって陸軍が姫路城を接収し太鼓櫓をはじめとする三の丸の建物を壊した時に、中にあった太鼓をこのヘノ櫓に運んで保存していたためにこの名をつけたようです。今日ではその太鼓も失われています。
では、隣りのりノ門を見てみましょう。
※写真提供 K.Yamagishi’s 城めぐり