井戸櫓の先、すぐ斜め向かいに右手に入る口を開けている櫓門が備前門です。これから入っていく広い曲輪、備前丸への入口の門なので現在こう呼ばれていますが、これも江戸時代に東入口門なんていう地味な呼ばれ方だったようです。 池田家が城主だった時代には備前丸に城主の居館があったことから、ここは厳重な防御体制が施されています。門扉だけでなく、柱や梁もすべて鉄板で覆われています。また、平時にはこの門が居館のお勝手口的な役割をしていたようです。江戸時代の城内を描いた絵図面を見ますと、備前丸の広い敷地の中でも、この備前門に一番近い東の端に「御台所」「御料理之間」という建物が描かれています。先ほど見た井戸櫓から、この備前門経由で台所に水を運んだのだと思います。
門をくぐる前に見ていただきたいのは、右側の鏡柱のすぐ脇の石垣の、大きな縦長の石です。写真でもご覧いただけると思います。くりぬかれた部分が内側に隠れているのでそれとはちょっとわかりにくいですが、これは古代の石棺を転用した石垣です。ろノ門を入ったところにもありましたよね。
この門は、明治15年(1882年)の火災でほかの備前丸の建物とともに階上の渡櫓の部分が焼失してしまい、長く門だけが棟門のような形で残されていたのですが、昭和38年(1963年)の解体修理の際に元の姿に復旧されました。 この2階部分は、次に見る折廻櫓(おれまわりやぐら)の2階と直接つながって、内部で行き来できるようになっています。
さて、門をくぐって備前丸に入ってみましょう。
※写真提供 K.Yamagishi’s 城めぐり