西の心柱展示場からいったん道路に戻り、坂道を少し登ると「登閣口」は目の前です。しかしまだ入城はしませんよ。ここで登閣口に向かって右手を見てください。「天守の庭」と表示板に書かれています。ここには、昭和の天守解体修理のときに掘りだした大天守の礎石が平面展示されています。1601年(慶長6年)~1609年(慶長14年)の築城以来、総重量6,000トンと言われる天守の総重量を支えてきた地盤は徐々に沈下し、礎石は高低差を生じて東南方向に44cm傾斜していました。そこで昭和の解体修理時に天守基礎にはコンクリートの地盤を埋め、そこに柱を立てることにしたため従来の礎石はすべて取り除かれました。そこでそれらの礎石をもとの配置で再現したのがこの「天守の庭」です。
この天守の庭にはもうひとつ見どころがあります。それは、天守の庭の周囲を取り囲んでいる低い石垣のひとつに珍しい石を見ることができるのです。天守の庭南側の石垣(三の丸広場に面した側)を丹念に見て行ってください。真ん中あたりに写真のような石があるのがわかりますか? 四角い穴は、石を割るときに開けられる「矢穴」という穴です。このような穴を持つ石はお城の石垣にときどき見られますが、珍しいのはその矢穴の横にうっすらと「矢穴を開けるためのガイドライン」が彫られていることです。一つ目の矢穴を開け終わり、さて次の穴はこの辺に、と思ったところで作業を中止しているのです。しかも結果的にはこの石は別のところで割られて使われているのですから、そもそもこの矢穴の位置は間違っていた、ということなんでしょうかね。この石自体は、もともと城内のどこかに積まれていたものが崩れたりして不要になったものを再利用しているものですが、実に珍しいですね。