菱の門から城内に一歩入ると、そこは「二の丸」と呼ばれるエリアです。見上げると天守群が一層輝きを増してそびえ立っています。天守がもっとも美しくとらえられるビュースポットのひとつです。
ただし、観光客なら「美しいお城だなぁ」と歓声を上げるのもいいですが、これからこのお城を攻略しようという敵の将兵であればそうもいきません。ここからいよいよ厳しい試練が次々と襲いかかってくるのです。
まずは目の前に広がる四角いお堀。名前を「三国堀」といい、外部のどこともつながっていない溜め池のようなお堀です。これを城郭用語では「捨て堀」と呼びます。地下の湧き水が地表に顔を出して溜まっているもので、水位は日によって変化しているそうです。
名前の由来は、秀吉の姫路城を今日の姫路城の姿に大改修した池田輝政が播磨、淡路、備前の三国を治める大大名であったことにちなむ、と言われています。
ところで、この捨て堀はなぜここに掘られているのでしょうか? ここに大きな防御の戦略があります。 菱の門をやっとのことで突破した敵の軍勢は、門内の捨て堀に一瞬戸惑うでしょう。天守を前に、堀をはさんで道が二手に分かれているのです。しかし右の道は見たところ石垣に行く手を阻まれて行き止まりのように見えます。それに比べて正面には何やら攻略しやすそうな小さな門(「いノ門」)が見えます。こちらが天守へのルートだ、とたいていの人が思うでしょう。もちろん天守へのルートであることは間違いないのですが、うっかり直進すると城側の思うつぼ。実は右のルートは行き止まりではなく、あとで訪れますが菱の門の位置からは死角になったところに「るノ門」という小さな門が石垣に開けられており、さらにその門内には一個部隊の兵を駐留させておくことができます。また逆の左手側は天守とは真逆の方向ですから攻め手側は注意が向けられないと思いますが、この「西の丸」に上がる坂の途中にも兵を隠して置くスペースが設けられています。これを「武者隠し」などと呼びます。
うっかりと「いノ門」の攻略にかかろうと直進する敵に対して、これら左右のスペースから隠れていた部隊が躍り出て、背後から攻めかかることができます。また左手の高い位置の塀には多くの狭間が開けられ、弓や鉄砲で攻撃することが可能です。不意打ちを受けた敵を三国堀に追い落とせば、堀の二方向の塀の狭間からの狙い撃ちでとどめを刺すことができる、というわけです。
すなわち、三国堀は敵の攻略ルートを狭めるとともに、一網打尽にするために掘られた落とし穴なのです。どうです? 恐ろしい罠でしょう?
三国堀にはもうひとつの見どころがあります。菱の門側からいノ門の方向を見て堀の真正面の石垣の中央あたり、石積みが不自然なところが見えませんか? まるで、元は石垣の端がここだった、というような稜線がV字型に向かい合っているのがうっすらと見えるでしょう? 実は秀吉が姫路城を築いたころは、三国堀は捨て堀ではなく、奥の方に続く長い堀だったのです。今、天守群が建つ右手の姫山と、西の丸と言われる左手の鷺山の谷にあたる部分がこの堀になっていました。それを池田輝政が奥の方の堀を埋めてしまって、今の三国堀の部分だけを四角く堀として残した、というわけです。それであとから石垣の空いているところを埋めたのでV字型の跡が残ったのです。