世界遺産 国宝姫路城のすべてをご案内いたします

とノ二門

とノ一門を出ると、小さな踊り場をはさんで下り階段が右に折れ、すぐとノ二門に至ります。
とノ二門は高麗門で、とノ一門と一緒になって典型的な「枡形門」を形成しています。枡形については水ノ四門のところでも述べましたが、2つの門と土塀や石垣、櫓などで四角いエリアを作って、攻城軍をエリアに囲い込んで周囲から攻撃する、という縄張で、城の構造上もっとも弱点とされる出入り口部分を強化するための工夫です。通常、枡形門のうち外側の門を高麗門、内側の門を櫓門とします。
姫路城では、往時、外曲輪や中曲輪に点在した門の多くがこの枡形の縄張を取り入れていまして、地形に応じて実にさまざまなバリエーションの枡形門が存在していました。(「お城の縄張」のページにある「中・外曲輪の縄張」の図面でご確認いただけると思います。) ところが内曲輪内、すなわち現在有料エリアとして現存建造物が多く残るエリアには、もともと枡形門が案外少なく、天守入口の水ノ四門~六門が変形の二重枡形、そしてこことノ一門~二門が唯一の典型的な枡形門なのです。有料エリアに入ってすぐの、堂々たるあの菱の門前も道をわざとクランク状に屈折させていますから、思想的には枡形に通じるものがありますが、外側の門は建てられませんでしたから、完全な枡にはなっていません。

とノ二門を出ると、道は写真のようにさらに細く、下り傾斜もきつくなってしかもつづら折れになってきます。この道が城の玄関口である「大手」に対して裏口である「搦め手(からめて)」です。
搦め手は、平時には非公式の出入り口として、城中枢部への近道として利用されていました。また不浄のものを城内から外に運び出すときなどにも大手ではなく搦め手が使われました。姫路城にはありませんが、他のお城で「不明門(あかずのもん)」などという名前の門があるのもたいてい搦め手です。
(姫路では、市内の中堀沿い東南隅にある鳥居先門のことを別名「不明門(あかずのもん)」と呼んでいましたが、これは江戸時代すぐ脇の惣社門が日常的に使われ、この門は普段文字通りほとんど開かれなかったためであり、不浄門的な意味合いはありません。)
戦時ともなると、天守への近道である搦め手は一気に防御上の弱点となり得ますから、道幅を細くし、急峻でつづら折れの上り坂にし、さらに短い距離にいくつもの城門を構えるなどして、守りやすく攻めにくい工夫が凝らされました。

さて、階段をどんどん降りていきましょう。途中、道が曲がりくねったあたりにはもうひとつ、とノ三門がありましたが現在は失われています。さらに降りていきますと一番下の門、とノ四門が見えてきます。
※写真提供 K.Yamagishi’s 城めぐり

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