搦め手口を一番下まで降り切ったところにあるのがとノ四門です。とノ四門も、門内側の控え柱に屋根を架けて開門したときに扉が雨に濡れないように工夫した高麗門です。
余談ですが、姫路城には現在、番号がついている一連の門は2か所あります。ここ「とノ門」の4門とすでに見てきた「水ノ門」の6門です。ほかに失われた門としては、この観光ツアーで一番最初に訪れた現在の桜門のところに建っていた「桐ノ門」も「一ノ門」「二ノ門」がありました。ここでちょっと気になるのは、この番号の付け方です。とノ門では、城内側、すなわち天守に近い側から順に一~四となっています。失われた桐ノ門も、内側の櫓門が一ノ門、外側の高麗門が二ノ門と名付けられていました。一方、水ノ門では天守に遠い方から内側に入っていく順番で一~六となっています。つまりこれを見ると、姫路城の中で名付け方のルールが統一されていないように見えます。ただ、水ノ門と、とノ門や桐ノ門とは少し事情が違います。前者は単なる連続した一連の門であり、後者は枡形門であるということです。(とノ門の場合は枡形を形成しているのは一ノ門と二ノ門だけですが) ですから、姫路城では「枡形門のうち櫓門のほうを主たる門、すなわち一ノ門とし、外門である高麗門は従属的な門として二ノ門とする。」という原則で名付けられている、ということもできます。
では、姫路城以外のお城ではどうでしょうか?
WEBサイト「城百貨 お城の雑学」によりますと、主なお城の枡形門の名付け方は以下の通りです。
・外側(高麗門)が一の門、内側(櫓門)が二の門と名付けられた門
金沢城 石川門、河北門
小田原城 銅門枡形
白河城 大手門
福井城 大手門 など
・外側(高麗門)が二の門、内側(櫓門)が一の門と名付けられた門(姫路城もこちらのタイプ)
松本城 太鼓門、黒門
名古屋城 表門
丸亀城 表門 など
(お城の雑学 城門より)
というわけで、全国的な統一ルールはなく、お城ごとに決めていたんですね。
とノ四門は現在、姫路城の東登閣口となっています。わたしたちは大手の正面登閣口から入城しましたが、たとえばお城の東側の姫山駐車場に車を停めたときや姫路市立美術館を訪れたあとお城に登るのであれば、こちら東登閣口を利用されるほうが便利かと思います。また裏ワザとしては、閉城時間ぎりぎりまで天守近くにいて東登閣口からさっと帰る、なんてこともできます。
とノ四門からちょっと外を覗いてみましょう。切符売り場や改札口がありますね。わたしたちはまだまだ見学を続けますのでここで出てしまってはいけません。
せっかく下ってきた階段ですが、ふたたび登って、とノ一門の門内まで戻りましょう。
(2015年3月の平成の修理完了以降、現在もこの東登閣口からとノ一門までの搦め手口は引き続き閉鎖されています。)
※写真提供 K.Yamagishi’s 城めぐり