今年も恒例の姫路ゆかたまつりが6月22日~24日の3日間、姫路市内の長壁神社を中心に行なわれています。今日がその最終日。
ゆかたまつりと言えば、享保年間(1730年代)姫路藩主榊原政岑(まさみね)が、姫山の地主神である長壁神社の祭礼に際してあらたまった正装でなく浴衣でいいから町人も参加せよ、みんなで楽しく祭りを楽しもうではないか、と呼びかけたものが今日まで続いている、と伝わっています。実は、よく調べてみるとゆかたまつりが始まったのは政岑が姫路を離れたあとのことのようで、どうもつじつまが合わないのですが、それを言うのは野暮というもの。仮に政岑がいなくなったあとに始まったとしても、それは当時の姫路の人々が、政岑お殿様を懐かしんで始めたのかも知れませんしね。
政岑は豪快な人で、参勤で江戸にいる間に新吉原の三浦屋のナンバーワン、高尾太夫を1,800両で身請けし、その披露として吉原を借り切って3,000両のどんちゃん騒ぎをして彼女を姫路に連れて帰り、側におきました。折から享保の改革を進めていたケチケチ将軍吉宗の逆鱗に触れて、ついに姫路から越後高田へと追いやられるハメになります。そこで高田への転封直前、姫路で最後の大騒ぎ、ということで冒頭の「長壁神社の祭礼に町民もゆかたで」という話につながるわけです。倹約倹約とお上からせち辛く言われていた町民にとって、なんて素敵なお殿様なんでしょう。人気が上がらないはずがありません。
でも、雪深い越後高田ではすっかりおりこうさんになった政岑、藩政立て直しに真面目に取り組もうとした矢先、転封後1年少しであっという間に亡くなってしまいました。31歳の若さです。やはり無茶が祟りましたかね。
新吉原一の花形花魁から15万石の譜代大名の想われ者へと華麗なる転身を遂げた元・高尾太夫は、政岑に従って越後高田に下りほどなく主人を亡くすことになりますが、政岑の正式な側室のひとりに江戸に呼ばれて、なんとそれから亡くなるまで40年以上もの間、政岑の菩提を弔いながら榊原家の江戸下屋敷に住まった、と言われています。さすがは吉原でナンバーワンを張るほどの女性、未亡人仲間(?)からも慕われたのでしょうね。
なんだか登場人物すべてが魅力的なお話しだと思いませんか?

というわけで、今年もゆかたまつりが華やかに始まりました。この3日間は、ゆかた着用者に限りなんと1,000円の姫路城入城料がタダに! 路線バスなども半額になります。
と言っても、昨年から「大人の事情」で出店する露店が激減し、今年は少し戻したものの市民からは「ショボくなったねぇ。」の声がしきり。出でよ、平成の政岑!

産経新聞 2015年6月23日付記事
姫路ゆかたまつり開幕 露店数回復、にぎわい復活